錯覚しやすい説明

雛人形は初節句を迎えるお子様にとって一生に一回の買い物ですから、普段買いなれている身の回り品や電気製品と違い、どこをどのように見て品定めをしたらよいのかわからない方がほとんどではないでしょうか?
ここに述べることは、高額な人形をお客様がお求めになるにあたり、よく考えれば当たり前の事柄であるけれども錯覚に陥りやすい、納得のできない説明をいくつか例をあげてみました。

錯覚1:有名な作家(メーカー)の作品ですからお薦めですよ。

必ずしも、有名な作家(メーカー、あるいは伝統工芸士、節句人形工芸士)の品が、優れた品とは限りません。なぜなら、テレビや雑誌によく取り上げられれば有名になりますし、お金をかけてCMを多くしても有名になります。しかし、有名だからといって、技術がそれに比例して高いわけではありません。むしろ、技術が高い職人さんの人形は、少量限定生産のため店頭で見る機会が少なく、有名でないこともあるのです。技術のない(短時間で作り方を習得でき、パートさんでも製作可能な)品は大量生産が可能で、結果どこの店にも置いてあり、有名なこともあります。
有名であることと、技術が高いことは必ずしも比例しません。品物のわかる専門店は作者の肩書きを全面に出して販売することはありません。

錯覚2:手間ひまかけて作られたものですからいいものですよ。

どこをどういうふうに手間をかけた分だけ、作りがきれいでしっかりできあがっているという説明なら納得できますが、単に「手間ひま」かけるのは時間の無駄。逆に、作るのに時間がかかれば、人件費が上がって値段が高くなってしまいます。おかしな説明ですね。技術がないから同じ仕事をするのに時間がかかるということでは意味がありません。
作るのに時間がかかればコストが増えて値段が高くなります。無駄な時間をかけずにきれいに作るのもひとつの優れた技術です。

錯覚3:定価の5割引きですからお得ですよ。

一般に、人形には定価がなく、オープン価格です。つまり、割引率は全く当てになりません。商品の表示価格を高くしておけば割引率を高くできるのです。一見、定価があるように見えてもカタログに印刷されている価格は、大幅割引が可能な価格設定になっていることが多いのです。サービス品(おまけ)も値段に含まれています。販売者が意識するしないにかかわらず、全くサービスの気持ちでプレゼントしているつもりでも、会社の経費で支払っている以上、最終的には商品価格に含まれるわけです。
人形に定価はありません。カタログに印刷されている価格は大幅割引が可能な価格設定になっていることが多いのです。

錯覚4:京都のものですから最高ですよ。証紙をご覧ください。

「京都」という言葉の響きは、なんとなく「伝統的」「高級品」などの美しいイメージを連想させます。京都には世界に誇る、伝統的な日本独自の文化遺産が多くあり、染色織物の分野などで高級品と称されるものもたくさんあります。しかし、節句人形の世界でも、それがそのまま通用するのでしょうか。
もちろん、京都の人形を作る職人さんで技術の高い人もいますから、京都の人形をすべて否定しているわけではありません。具体的に、京製だとどこがどのように他に比べて優れていてすばらしいのかという説明がなければならないのです。また「京製品」とされている品によく付けてある「証紙」についても同様です。良くも悪くも付いていますから、目安にはなりません。あくまでも、その人形自体の出来栄え(表情や造形)で判断して下さい
京都製でもすべての商品が技術が高いわけではありません。あくまでも人形自体のできばえ(表情や造形)で判断すべきです。

錯覚5:製造(メーカー)直売ですからお得ですよ。

お節句の人形メーカーとうたっているところで、内部に職人を雇用し、一貫してすべてを制作しているところは、日本に一件もありません。人形の道具の一部しか作っていないメーカーで、他の部品はすべて別のメーカーから仕入れているにもかかわらず、あたかもセットのすべてを作っているかのようにうたっている店が全国に数多くありますが、これは製造直売とは言えません。
さらに、そのメーカーに技術がないと得にはなりません。仮に、お顔を作っているメーカーで考えて下さい。顔だけはそのメーカーに頭師が実在して実際に作っているとしましょう。でもはたしてその顔がいい表情をしているでしょうか。そういう販売方法をとっているところは、たいていの場合、技術は未熟です。
果物の例です。産地直送は、安くてお得に聞こえますが、味が悪ければ高い買い物になってしまうのです。逆に果物専門店で、味のわかる店主が、吟味して仕入れたものなら価格は高くても、味はとても良いでしょう。
節句人形は分業です。びょうぶなどの道具まですべてを作るメーカーはありません。安くても作りが悪ければ高い買い物になります。

錯覚6:正絹を使用していますから高級ですよ。

これは、明らかに間違っています。正絹を使えば、どんな(におかしな)作りでも、高級品になるなら、誰でも(技術のない人でも)、正絹の素材を買って作れば、それが高級品になってしまいます。これでは納得できません。正絹が悪いといっているのではありません。絹の肌触り、絹ならではの色合い、風合いはすばらしいものです。このすぐれた素材を、人形に使用することもたいへんよいことだと思います。ただ、正絹で出来ていることだけが、その人形の値打ちであるかのような説明がおかしい、ということです。正絹でなくても、その人形のよさを一番引き出す生地がもしあれば、それが最高なのです。
美しい形を出す技術がなくてもよい生地は買えます。正絹でできていることだけが人形の値打ちであるという説明はおかしいです。

錯覚7:子供さんが喜びますよ。

「これって大人の趣味じゃない?子供が喜ぶかしら?」この言葉は、たとえば、殿と姫だけの「親王飾り」やコンパクトな「兜飾り」などをお求めになる方に多いようです。つまり、賑やかな15人揃いや、五月人形で言えば、大きな鎧飾りなどに比べて、シンプルでさっぱりしすぎてはいないかという不安から出る言葉なのでしょう。「節句人形」というのは、初節句を迎える子供さんの人形には違いないのですが、子供さんが成長して、大人になっても、さらには嫁ぎ先でも(独立しても)飾れる「人形」であるべきです。大人になったときに、その人形が贈られた意味を考え、贈っていただいた方に感謝する。そして、自分の子供たちにもその心を伝える。それがお節句の意義なのです。「子供が喜ぶ」というのはおもちゃのことです。幼稚園児くらいの時は、確かに賑やかなほうが喜ぶでしょう。でも、子供さんはすぐに成長します。中学生にもなると、大人の感覚で物を見るようになりますから、おもちゃっぽいものは見向きもしなくなり、飾らなくなります。逆に、節句人形であっても美術工芸的に製作されたものは、大人も楽しめますから長く飾れます。数年しか飾らない人形に、何万、何十万円ものお金を出すのはもったいないですね。それよりも、子供さんが大きくなったときのことを考えてあげながら、大人の感性・感覚で、しっかりと選ぶべきです。子供さんが小さいうちは家族みんなで楽しみ(小学校へ上がる頃には自分で飾れるように導いてあげれば最高です)、ものがわかる年頃になったら意味を教えてあげれば、大人になってもその人形を大事にしてくれるはずです。
子供が喜ぶとはおもちゃのことです。節句人形であっても美術工芸的に制作されたものは大人になっても楽しめますから長く(一生)飾れます。