錯覚しやすい説明
五月人形は初節句を迎えるお子様にとって一生に一回の買い物ですから、普段買いなれている身の回り品や電気製品と違い、どこをどのように見て品定めをしたらよいのかわからない方がほとんどではないでしょうか? ここに述べることは、高額な人形をお客様がお求めになるにあたり、よく考えれば当たり前の事柄であるけれども錯覚に陥りやすい、納得のできない説明をいくつか例をあげてみました。 長年の経験の中で、私達が品定めするときにポイントとなることも含めて書きました。一つの参考意見として読んでいただければ、と思います。
|
錯覚1
正絹ですからいいものです。高級品です。
|
>>>
これは明らかに間違っています。正絹を使えばどんな(におかしな)作りでも高級品になるなら、誰(技術のない人)でも正絹の素材を買って作れば(人形の価格に比べて)生地の価格は大差ないのですから、それが高級品になってしまいます。これだけでは納得できません。 確かに、素材としては正絹のほうがそうでないものより値段が高いことが多いでしょう。しかし、使っている生地の値段がたとえ倍したとしても人形全体の値段は倍にはならないのです。「正絹ですから高級品です」=「値段が高いから高級品です」と同じに聞こえてしまいます。 正絹が悪いといっているのではありません。絹の肌触り、絹ならではの色合い、風合いはすばらしいものです。このすぐれた素材を人形に使用することもたいへんよいことだと思います。ただ正絹で出来ていることだけがその人形の値打ちであるかのような説明がおかしいということです。正絹でなくてもその人形のよさを一番引き出している生地が最高なのです。人形の表情や形状などの技術が伴う部分に説明がなく、誰でも選べる素材の説明を強調するのはおかしいですね。
これなら納得
この作品は○○の理由ですぐれています。尚この作品の風合いをよりいっそう出すために正絹が使用されています。
|
|
錯覚2
手間ひまかけて作られたものですからいいものです。
|
>>>
どこをどういうふうに手間をかけた分だけ、作りがきれいでしっかりできあがっているという説明なら納得できますが、単に「手間ひま」かけるのは時間の無駄。人件費が上がって値段が高くなるだけ。おかしな説明です。技術がないから同じ仕事をするのに時間がかかるのでは意味がありません。無駄な時間をかけずにきれいに作るのも一つの優れた技術です。
これなら納得
ここの部分をこの様にきれいに表現するには○○だけの工程が必要になりどうしても腕のいい職人さんでも時間がかかり、生産数も限られてくる..などの説明。
|
|
錯覚3
京都のものですから最高です。 証紙が張ってありますから本物ですよ。
|
>>>
「京都」という言葉の響きで、なんとなく「伝統的」「高級品」などのイメージを連想します。京都には世界に誇る伝統的な日本独自の文化遺産が多くあり、染色の分野などで高級品といわれるものもたくさんあります。しかし節句人形の世界でもそのまま通用するのでしょうか。 もちろん京都の人形を作る職人さんで技術の高い人もいますから、京都の人形をすべて否定しているわけではありません。京製だとどこがどのように他に比べて優れていてすばらしいのかという説明がなければならないのです。またよく見かける「証紙」についても同様です。良くも悪くも付いていますから、目安にはなりません。
これなら納得
この作品は京都の○○作の品です。この職人さんの特長は、○○と○○がこの様にきれいに仕上げてあります。これはたいへんな技術と経験を必要とするので他の職人さんにはなかなかできません。
|
|
錯覚4
有名な作家のものですから高級品です。
|
>>>
「有名な作家=腕のいい職人」とは限りません。テレビや雑誌によく取り上げられれば有名になりますし、ダイレクトメールを立派にしたり、CMを多くすればお金はかかりますが有名になります。 全国区で大手の○○作などは、会社の名前であって実際にそういう名前の職人さんがいるわけではありません。逆に大手の場合は、同じ品物を数多く作る必要があるので分業量産品が多いです。もちろん超高額な品の中には優れたものがありますが、一般的ではありません。
これなら納得
この職人さんは眼の部分はこう、口の部分はこの様にこういう技術を使って仕事をしていますから、少し離れて見たときに味わいがあります。なお、その技術が認められてこのような賞をいただいており、業界では有名です。
|
|
錯覚5
子供さんが喜びますよ。
|
>>>
この項目を取り上げるかどうか迷いましたが、接客していて「子供が喜ぶかしら?」などの言葉を聞くことが結構多いので、書いてみました。 この言葉はたとえばコンパクトな「兜飾り」などをお求めになる方に多いようです。つまり豪華な段飾りなどに比べて、シンプルでさっぱりしすぎてはいないかという不安から出る言葉だと思います。 私達は「節句人形」というのは初節句を迎える子供さんの人形には違いないのですが、子供さんが成長して大人になっても飾れる「人形」であると考えています。大人になったときにその人形が贈られた意味を考え、贈っていただいた方に感謝する。そして自分たちの子供にもその心を伝える。それがお節句の意義だと思っています。 「子供が喜ぶ」というのはおもちゃのことです。幼稚園くらいの時は確かに賑やかなほうが喜ぶかも知れませんが中学生にもなると、大人の感覚で物を見るようになりますから、おもちゃっぽいものは見向きもされなくなり、飾らなくなります。逆に節句人形であっても美術工芸的に製作されたものは大人も楽しめますから長く飾れます。 数年しか飾らない人形に何万、何十万もお金を出すのはもったいないです。それよりも子供さんが大きくなったときのことを考えてあげながら、大人の感覚でしっかりと選ぶべきです。子供さんが小さいうちは家族みんなで楽しみ、ものがわかる年頃になったら意味を教えてあげれば、大人になってもその人形を大事にしてくれるはずです。 五月人形で五歳になったら着られる着用鎧などはよく検討してみるべきです。
|
▲このページのトップへ
|